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大島渚監督 藤沢市病院で死去

 湘南鵠沼の有名人 大島渚監督の死去のニュースに地元藤沢では、衝撃が走った。昨年末に体調を崩し藤沢市民病院に入院していたようだが、本日午後3時25分に肺炎で亡くなったとのこと。80歳だった。

 元気に活動していた頃は映画監督として、「愛のコリーダ」での映倫の検閲制度と激しく対立、「戦場のメリークリスマス」では、当時お笑い芸人であった北野武を俳優として抜擢して映画の世界に引きずり込むなど、枠に囚われない映画の製作と行動で、日本の映画界を牽引してきた。
 また、『朝まで生テレビ』ではレギュラーパネリストとなり、テレビのコメンテーターとしてその歯に衣着せぬ言動でも人気を博した。言わば、昭和に生きた発言する最後の文化人の一人であった。

 1996年に脳内出血で倒れた後は、3年間の懸命のリハビリで1999年に一旦、「御法度」を復帰作として公開。その後、右半身マヒと言語障害が悪化し表舞台にはほとんど姿を見せず、オシドリ夫婦と知られた小山明子夫人とともに黒松の茂る鵠沼の邸宅に住みながら、鎌倉市の聖テレジア病院に通いリハビリを続けていた。そして近年は、むしろ小山明子夫人が表へ出て、大島渚監督との介護生活の苦労を語っていた。
 
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 巨星墜つ。また一人昭和の匂いのする日本映画界の重鎮を失った。謹んでお悔やみ申し上げます。

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1月22日東京都中央区築地本願寺で大島渚監督の葬儀が行われたが、導師は鎌倉市建長寺の高井志堂住職が勤めた。戒名の「大喝無量居士」をつけたのも高井住職である。

 妻の小山明子さんが、高井住職と親しく、鎌倉市建長寺に墓地を購入していた。高井住職は、読経の最後に「カーッ」と一声あげ、戒名の「喝」のとおり、「覚醒」「解放」の願いを込めたとのことである。

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